ベイシングレコード BATHING RECORDS

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まったく更新していなかった当ブログ。久しぶりにこちらからこんにちは。
今年がもう終ろうとしています。皆さんは今年はどんな一年でしたか?
ベイシングレコードはおかげさまで今月の8日に丸2年を迎える事が出来ました。
ありがとうございます。いつも感謝は絶やさないようにしているのですが、それでも改めて。
皆様のおかげです。本当にありがとうございます。

お店の事は勿論大切なんですが、今年は私の父が亡くなった年でもありました。
享年84歳。84歳まで生きたんだから長生きした方だよ、と頭では理解しているのですがそれでもそれを受け入れる事を考え続ける日々でもありました。
そもそも大分へ帰ってきた事も父の身体の事があった為であり、いつかはこういう日が来るのは理解していました。だんだん弱っていく姿を見ているのも辛かったですが、それでも「いつか来る日」については受け入れる事を無意識のうちに拒否していたのでしょう。
入居している施設で誤嚥性肺炎を起こし、救急病院へ搬送されそこで苦悶している父の姿は筆舌に尽くしがたいものでした。ここで死ぬかもしれない。駆け付けた我々家族の頭に浮かぶのはそれだけでした。治療にあたってくれた看護師さんなどは慣れているもので父がどんなにうめいていても平然と処置を続けており、それがまたこちらの気持を戸惑わせました。
「胃ろうを作るしかないですがどうしますか?」という担当医師の言葉にこちらとしては受け入れるしかなく、胃ろうの手術をし父は他の病院へと送られました。喋りは全然おぼつきませんがそれでも多少は意識が回復した父は、新しく搬送された病院で「俺はここで死ぬな」と私にはっきりと告げました。「そんな事言わんでくれ…。」私に返せる精一杯の言葉はそれだけでした。

4月の或る日、その時はやってきました。病院から「もう危ないかもしれない」と電話があり家族で急いで駆け付け、コロナ対策の防護服に身を包み皆で父のベッドを囲みました。虚ろな目で何とか呼吸をしている父の姿。その姿は命のロウソクがだんだん燃え尽きていくたとえそのものでした。家族で声をかけ続け、遠方に住む姉や親戚には電話越しに声を聞かせました。命が尽きようとする時もその人の耳だけは生きているという話をよく聞きます。父には我々の声が届いていたのでしょうか。最後に目が薄く閉じられる瞬間はとても静かなものでした。

山梨の山奥のあまり豊かではない家庭に生まれ、当時は難病だったリュウマチで兄弟を何人も亡くした父。大学を卒業し就職した後も実家へ仕送りを送り続け、残された甥や姪たちの事も気にかけながら一生懸命働いてきました。読書が好きだった彼は本当は新聞社で働きたかったとかつて言っていました。
山梨の山奥から出てきた一人の青年の人生は九州の地方都市の病院で幕を閉じました。果たして彼の人生は幸せだったのでしょうか。彼の心の裡で、もっともっと深い場所で思うことは一体何だったんでしょうか。ベッドのそばで座っていた私の頭に浮かぶ事はそんな事ばかりでした。

結果的に最後の入院先となった病院へ車で送るとき、父は「お前の店が見たい」と言いうちの店の前へ連れて行きました。「一等地だなー」という彼の言葉はとても嬉しそうで、その言葉は私にとっても凄く誇らしいものでした。あの時ほど店を開いてよかったと思った事はありません。

最近店でライ・クーダーのライヴ盤をよく聴いています。ライ・クーダーのライヴの定番曲に「ジーザス・オン・ザ・メインライン」というゴスペル曲があります。「ジーザスが今電話に出てるからなんか欲しいものをいってみなよ」という、ひじょうにふざけてるんだけどとても人懐っこいナンバーで、これが本当に最高なんですよね。以前観たバンバンバザールの皆さんもライヴでこの曲をちょっとカヴァーしててとてもグッときました。
私自身基本的に神や仏を信じていない上に、ここまで生きてきて未だに金縛りの一つすら経験したことがありません。
ただ、父が亡くなって初盆の直前くらいに店の階段から気配がし、階段の照明が点滅した事がありました。その経験はとても不思議でとても暖かいものでした。
父もそのような存在を信じていた人では全然ありませんでしたが、それでも彼がどこか遠くのそういう安らげる場所で静かにいてくれればいいなと思います。出来れば彼が愛していた祖母や亡くなってしまった兄弟たちと共に。
たまに電話で話せたらいいのにね。ジーザスに電話してお願いするなら私はそれですね。

今年の9月末は結婚して以来の石垣島へ旅行に行ってきました。
調子に乗って初日に痛飲してしまい翌日は近年で一番の酷い二日酔いに苦しみましたが、それでも久しぶりの石垣島は本当に最高でした。米原の海ではこの世のものとは思えない海中の景色を堪能し、紫外線4.5倍くらいの太陽光線を思い切り浴びてきました。
カラフルな魚たちが泳ぐ静かな海に浮かびながら
父が最後に海で泳いだのはいつだったのだろう
そんな事をずっと考えていました。